浮上
ブログもTwitterも、一ヶ月前ほど前を最後に更新が途絶えていた。Twitterにも書いたが、別の場所で他ごとをやっていたり、自分自身が少し落ち込んでいたりして、あまり余裕がなかった。人様に迷惑ばかりかけるのもいけないと思い、しばらく黙っていたというのが正直なところで、一時的にTwitterも鍵アカウントにしていた。
本音を言えば、もうこちらには戻ってこなくてもいいかな、と言う馬鹿な思いがないでもなかった。でも、投稿した作品や、素敵なアイコン、交流が生まれた人たちをやはり無駄にはしたくなかった。なので、恥ずかしながらまた戻ってきた。今後は定期的なブログの更新も、できる限りやっていきたいと思っている。
一ヶ月前に散々言っていた旅行記なのだが、時が経ちすぎてすでに内容を旅行した自分が忘れている始末なので、思い切って書くのをやめてしまおうと思う。なんとなく申し訳ない。次旅行に行く機会があれば、その時こそは書こうと思う。
人生は色々あるけれど、これからはきちんと前を向いて生きていければいいなと思うし、そのためには努力も必要だ。それを痛感した一ヶ月だったようにも思う。
もちろん音楽作品も、できる限り投稿していきたいと思ってはいるが、こちらはもう焦らず急がず、できる時にできることをしようと思っている。今後また投稿した暁には、聴いてくださると嬉しく思う。
久々の更新は説明で終わってしまったから、次はもっと読みやすいものにしよう。
『流星』
本日、自分が制作に携わった作品が動画投稿サイト「niconico」へ投稿された。
タイトルを『流星』という。以下に動画のURLを貼りたい。
【niconico】
以上である。
視聴していただいた方はおわかりいただけたと思うのだが、非常に可愛らしいイラストと動画である。こちらは双羅(@soura1224)さんという方が制作されている。一見して非常に気に入ったし、この動画、イラストがあるから、全体としてこれほど素晴らしい作品となったのだろうと思う。
この作品は、発起人である萌蔵(@moe_zou_kamanek)さんが制作した歌詞に対して、ぼくが作編曲して楽曲ができたという経緯がある。萌蔵さんから歌詞を受け取った際に、楽曲を歌ってもらうボーカロイドが開発コードmikiであるということ、歌詞全体が元気いっぱいである印象を受けたことから、このような作編曲となった。結果的に動画も相まって、可愛らしくも元気溢れる作品となって満足している。
何はともあれ、たくさんの方々にご視聴いただきたい作品である。すでにたくさん視聴していただけているようで、早速感謝をしている状況であるが。
翻って自分の作品についてだが、実を言うと振り出しに戻り、イラスト、動画ともにまだ未定の状況となっている。身の回りがバタバタしていたり、他のことにかまけていたりと言い訳はいくらでも見つかってしまうが、そろそろ動き出そうと、ようやく重い腰を上げる気になったようだ。
ぼくの作品についても、いずれ投稿した際にはご視聴いただけると嬉しく思う。
このような形で、本日は『流星』の宣伝記事としたい。非常に素晴らしい作品なので、どうぞよろしくお願いします。
ヒップホップ
いろいろと奥が深いジャンルだと思う。ぼくはそれほど聴き込んでいないため、このジャンルに関してはあらゆる面でそれほど詳しくないし、大きなことは全く言えないけれど、人並みに好きなジャンルではある。おそらく自分の音楽に影響も受けているのだろう。
一、二年くらい前に小さな映画館で「ストレイト・アウタ・コンプトン」という映画を見た。N.W.Aという、かつてアメリカで活動していた、ヒップホップ黎明期にスターだったグループの栄光と挫折を描いた映画だった。夜にすることがなくて飛び込んだ映画館で偶然やっていたものだったと思うが、思いの外面白く、次の日にはiTunesで映画と同名のフルアルバムを購入した。実を言うとこの記事もそのアルバムを聴きながら書いている。
それ以前にもエミネムだったり、スヌープ・ドッグだったりを動画投稿サイトでちょこちょことは聞いていた。エミネムなどは父が彼のファンだったため、車の中で流れていたし、今でも地元に帰ると車内で流れている。
自分でもやってみようかな、と思ったことも、実はある。当然頓挫したけれど。そもそもそんなに簡単にできるものではない(考え方一つですが…)。ラップ一つとっても、どれだけ難しいかは同じように動画投稿サイトに投稿されているラップバトルなんかをみれば一目瞭然である。
何はともあれ、今後も聴き続けたいジャンルではある。
ボランティア
ボランティア。一時、興味があって個人的にいろいろと調べていたことがある。ボランティアセンターなるものが各地域に設置されていて、そこへ行けば専門のスタッフが色々と丁寧に説明してくれるから、バカなぼくでもある程度はその仕組みなどが理解できたことを思い出す。
実は今もそこそこ気になっている。人を助けられるほど強くないことは自分でもわかっているけれど、人並みに役に立ちたいという気持ちが、実はあったりする。
ボランティアというものはいろいろと種類があるようである。イメージが湧きやすいところでは、ゴミ拾いなどがそうだろう。これなら自分が学生の頃に、教師に無理やりやらされたことがあるためぼく自身もイメージが湧きやすい。ただ、ゴミ拾い自体は決して悪い行為ではなく、むしろ歓迎されるべきものなのだが、無理やりやらされたという経験がよくないのか、学生が集団でゴミ拾いなどを敢行していると思わず顔をしかめてしまう(ただの嫌な奴ですね…)。
他方、現在興味があるのは音楽ボランティアというやつだったりする。その名の通り、音楽を通じてボランティアを行う類のものだ。具体的には、老人ホームなどへの慰問を行い、ギターの弾き語り、楽器の演奏を行ったりして、入所されている方々を楽しませるボランティアのことらしい。
自分は弾き語りがあまり得意ではないし、歌もそれほど上手くないと思っている。ただ、実際問題音楽ボランティアをやろうとすると、まさか老人ホームでDJなんぞをやるわけにもいかないし(できません)、だから弾き語りをするしかないのだろうとは思っている。
なので最近、自分の部屋の隅っこで、エレキギターを生音にしてちゃかちゃか鳴らしながら、一人で弾き語りの練習をしていたりする。単純な奴だなあと思うけれど、これが実を結ばないとも限らないと思うと、ストロークの手をあまり止めようとは思わないのが不思議である。
今日も自作曲を練習している。
写真
高校時代は写真部だった。よく写真を撮っていたかというと、そんなことはなかったが。
それほど活動の頻度がない部活だったから、活動以外でメンバーと会うこともなかった。かくいうぼくも自発的に写真を撮るような人ではなかったから、実質幽霊部員みたいな形だった。もっともそう言うならその部活全員が幽霊部員みたいな奇妙な部活ではあったけれど。
最近になって、実家にあるデジタルカメラを見つけたことからその事実をふと思い出し、「今やったらどんな風に撮れるんやろう」と思い、親に頼んで現在の街まで持ち帰らせてもらった。長らく使っていなかったから当然充電も切れていた。先日、その充電も終わったので、これから写真を撮りに行こうかなと思案している。
撮る分にはやはり都会の街並みよりは自然の方が好きだと思っている。数少ない活動の中で、写真部として撮った写真も圧倒的に自然の中が多かった。
ちょっと遠出をしてみるか。
更新のことなど
直近の更新が「アクトレスの手紙」と言う題名の、動画作品「三月のアクトレス」にちなんだフィクション的な文章だったため、個人的なことを書き記すのはもっと滞っていることになる。言い訳でしかないが、どうも日常生活が忙しいとマイペースに更新ができなくなって困る。あまり忙しすぎると精神的にも落ち込んだりするし、そろそろ休み休みいかなければ、あまりいいことがない。
上記の通り、最近は日常生活の方を比較的慌ただしく過ごしている。仕事がバタバタとしているのもあるし、飲み会なども続いている。そして白状してしまうと、飲み会などでお酒をたくさん飲んで、気が大きくなっている時に自分のTwitterアカウントでつぶやいたり、動画や他人の放送にコメントを残したり、マイリスト、挙げ句の果てに宣伝すらしてしまうことが、実はぼくにはある。
そういう時にとった行動については、一晩寝て、酔いの醒めた翌日に確認した時にだいたい後悔している。そして、こんなことはやっちゃいけないよなぁと思いつつも、その場の勢いでフォローした人たちを一斉に外したり、マイリストもそれほど好きでなければ消し、コメントもできるものは消したりと、一連の流れをはたから見ていると非常に不可解だと思われる行動を平気でとる。無論だが、こんなことは早急に控えるべきである。このままじゃただの酒乱になってしまう。普段は全くと言っていいほど飲んでいないのに。
SNSというものは、その媒体にもよりけりだが、だいたいは書き込むことで相手に意思を伝える類のものがほとんどであるように思う。なので大抵は自分が書き込んだ内容が、そのまま相手にとっての自分像として伝わるし、自分もまたそのように相手を見ることになる。相手が書き込んだ言葉の真意や、言葉の裏や奥にあるもののことをあれこれ考えて四苦八苦すると良いことなどないし、ともすれば相手の意思と全然見当違いなことを先回りして考えた気になっていたりもする。その結果、多大な迷惑を相手にかけたりして、相手が愛想を尽かして離れていくこともしばしばだ。愚かなことに、ぼくはそういうこともしてしまうことがある。
メディアリテラシーという言葉が方々で叫ばれて久しいが、ぼくには全くないのだろうと自分でも思う。もっとも、自分の作品を出していく場所として、や、こうしたとりとめのない考えなどを発信する場として少なからず利用しているのだから、リテラシーがないのであれば必死に学ばなければならないし、実践していくべきである。
だからことあるごとに「暗いことを発信するのはやめよう」、とか、「できる限り迷惑をかけないようにしよう」とか、自分なりに色々考えているし、実践も実は試みている(つもりです)。今の所、非常に空回りが多い気がするが、今後も改善点を見つけつつ続けていくべきなのだろう。
久々の更新で、長い言い訳、また少し暗いことも長々と書いたが、ぼくがもっとも言いたいのは、自分の作品を聴いてくださったり、あるいは読んでくださっている方、また自分と交流をしてくださっている方には常々本当に感謝している、ということ。そして、今後は少しずつ活動ペースが落ちるかもですが、こういったことは続けていきますのでよろしくお願いします、ということだ。
「プールサイディング・ラディカル・ガール」、お聴きいただいた方、ありがとうございました。そして旅行記がまだ進みません…。もはや旅行から一ヶ月が経ちましたが、いつか載せます。曲はどんどん作っていますので、気が向いたときに聴いてもらえれば嬉しく思います。
『アクトレスの手紙』
(街の博物館に保存されているそれは相当に古びており、関係者による幾度かの修復の痕が目立つ)
拝啓
この言葉が、まさかあなたに届くなんて本気で思ってはいないけれど、自分の近況をあなたに向けて書きたかったので、完全なあたしのエゴとして書いています。この紙一枚に書いたものだから、風が大きく吹けば、それに吹き飛ばされてしまうかもしれません。もしそうなるのなら、空高く舞い上がったそれが、あなたが触れられる距離まで飛ぶことを祈っています。そうしたら絶対に拾ってね。あたしとの約束よ。
あなたと別れた後も、三月の空は相変わらず移り気です。昨日はこの街での、あたしの劇団の千秋楽でした。あいにくの雨にもかかわらず、民の皆さんがたくさんいらしてくださったのです。あんな素敵な光景を見ると、いつもそうだけれど、ずっと前、観客があなた一人で会場が病室、演技をしてみせるあたしがベッドの上だった頃のことを思い出さずにいられません。あなたはあたしの傍で、ずっと、微笑んでくれていたっけ。
あの夢の木はやっぱりとても大きくて、あたしたちがここにいた頃と何も変わってないです。あなたが日に日に弱っていく時のことを鮮明に思い出してしまうから、実はあたしはあまりここに寄らなくなってしまいました。そうやっていつしか完全にここに来ることがなくなり、やがてこの木や、あなたの存在さえも忘れてしまう。人はそれを時間の流れのせいにして、演技者として名を成したあたしのことを擁護するのかも。……可笑しい? そうだよね。あたしもこんな風に書きながら、「そんなわけないじゃん」って久々に素の声でつぶやいちゃった。
だって、あたしたちは一心同体だもんね。たとえあたしが病気にかかって何もかもを忘れてしまっても、この事実は永遠にそのまま。あたしたちは、永遠にこのまま。あの誓いのまま。
あたしはいつの間にか、民の皆様から名前を頂戴しました。「三月のアクトレス」だそうです。あたしが皆様に広く知っていただけたのが3月の公演だから、という理由なのだそう。いかにも民の皆様らしい名付け方だと思います。これで、あたしも安泰なのね。
言いたいことが多すぎるから、ここに記すのはほんの少しだけにしようと最初から決めていました。あなたと二人、手をつないでいた頃に出会った、素敵な流しのギタリストの方が、あなたの訃報を聞いて作ってくださった歌があるの。あたしはそれを今でも劇場で歌っています。その詩をここに掲載して、この手紙を締めくくろうと思います。
最後に、あなたを心の底から愛しています。あたしが本当に言いたかったのは、これだけ。
たった、これだけ。
敬具
(以下、手紙の損傷が激しく解読不能だが、何らかの詩が書かれているものと思われる)