Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

チケット

 本日、金沢行きのチケットが届いた。少しばかり不安だった日程が確定的になり、これで晴れて「金沢へ行きます」と堂々と言える。ちなみに、情報収集の方は依然として進んでいない。このままでは本当に予備知識のない旅路となってしまう。さすがにいかんと、ようやくスマホやパソコンを駆使して観光名所などを覗いたりし始めた。

 

 ところで、チケットの発券という作業を、人生であまりやってこなかったことを、本日届いたものをみながら思い出した。なのでなんとなく今日の題材に取り上げてみた。

 

 そもそもあまりコンサートやライブハウスに足を運ばない人である。当然その分、ライブチケットなどとは無縁である。加えてイベントなどにも誰かに誘われるか、先の記事に書いた県民会の件のように、よほど寂しくない限り自分からは足を運ぶ習慣のない人でもある。その分またチケットとは縁遠い生活となるのは必至である。

 

 誘われたりすると、気の利いた相手方があらかじめ発券しておいてくれて、自分に届けてくれることが大半なので、ここでもやはり自分から発券作業をすることはなかった。そんなぼくだが、先日どうしても行きたかったイベントに一人で参加する際に、およそ何年ぶりかに自分で発券作業をする機会があった。

 

 申し込んだ段階から「どうやって発券したらええんやろう」と冷や汗をかいていたのだが、いざ当選が決まった時にホッとした。あの手のものはだいたい当選などの知らせと同時に、「こちらへ料金を振り込んで、ここで受け取ってください」と丁寧に書いてあるものなのだった。何年もやってないと、こんなことさえスコンと頭から抜けているものだ。

 

 かくして、指定の場所(コンビニです)にてお金を払い、後日受け取るといった作業を経て、この時は念願(でもないですね)のチケット発券を行うことができた。当日は無事チケットを使用してイベントにも参加でき、充実した1日を過ごせた。

 

 ただ、本日に限って言えば、上記に「届いた」とある通り、郵送だった。だからそもそも発券の必要がなかった。毎回がこうならほんまに楽やな、と届いたものを前に、心なしか思わないでもなかったが、そこまで怠けるとかえってよくないやろう、とも思ってしまった。今後、どれだけ発券する機会があるかは定かではないが、その時は抜かりなくやろうと心に決めるぼくであった。

 

 よくわからない記事になってしまった。ひとまず、今日のチケットは保管しよう。

美術館と散歩

 タイトルにあるどちらも、この街にきてから好きになったもの。地元には気軽に行ける距離に美術館がなく、自分に散歩をする習慣もなかった。

 

 こちらに来てから随分歩くようになった。と言っても、色々なところに行ったわけではない。同じ場所をぐるぐると何度も往復するような形で、いつも決まって同じ場所に立ち寄ってぷらぷらとしているだけである。でもそのせいで歩く習慣がつき、心なしか体が軽くなった気がする。

 

 そんな中で、地元で気軽に行けなかった美術館にも関心が向いた。開けた場所に出向いて、比較的大きな美術館で、常設展示を鑑賞するための料金を払って、こちらでもぷらぷらとしている。もちろん第一には、そこに展示されている美術品目当てで行くのだけれど、あてどもなく散歩するような時間もはっきり楽しみの一つに含まれている。

 

 美術にはあまり詳しくない。何度も言及しているけれど、ぼくには全く絵心がない。なので学生の頃、美術の成績は散々なものだったし、歴史などのことについても全く明るくない(興味はありますが)。それでも何か心惹かれるものが確かにあるので、週末、気が向いたときにふらりと立ち寄ってしまう。常設展示だと、料金もかなり良心的で、足が向きやすいというのもある。

 

 万歩計なんてものも存在するけれど、生まれてこのかたつけたことがない。自分が歩いたことをはっきりと数値で示されるのは全くもって気にくわない…、と言うわけではない。単にどこで売っているのかもあまり知らないし、必要性を感じないのが理由である。

 

 これからは視野を広げて、色々な場所に立ち寄るようにしようかな、と思いつつ、昨日もよく行く美術館に行ってしまった。楽しかった。

 

 

金沢旅行

 金沢が石川県だということすら危うい人間が、なにを血迷ったか二泊三日で金沢旅行に行くこととなった。一人旅。これも人生で初めてのことである。

 

 もともと、近いうちに一人旅をしてみようとは個人的に考えていて、兼ねてから行き先を探していた。最初は北海道に行こうと思っていたのだが、予算や日程の都合が合わず、他に色々と探した結果、金沢に行き先を定めることとした。

 

 新幹線が開通したことで、数年前から旅行者数が劇的に増えているのが金沢、ということくらいはぼくの耳にも入っている。ただ、そこに果たしてどのような観光名所が存在するのか、どのような人がいるのか、全くわかっていない。そんな状態で行く一人旅、個人的にはなかなかにパンチがある。

 

 もちろん行くにあたってこれから色々調べる気ではいるけれど、予備知識を最低限に抑えて、あとは自分で歩くことによって様々なことを知り、見るようにするのも面白いかもしれない……、などと少し思わないでもないけれど、何を言っても初めてなので、やっぱりしっかり調べていくことになるのだろう。

 

 余談だが、その直後に帰省も控えている。実家にそのことを話すと、「旅行の時に写真を撮ってきて、帰省の際に見せてくれ」と言われてしまった。できる限り善処しようとは思うけれど、いかんせんセンスがないので、難しいところだ。

 

 一人旅が終われば、ここにちょっとした旅行記を記そうと思いつつ、今日は寝るとしよう。

日記を書くこと

 個人的な日記を初めて書いたのが、確か小学生の頃だったと記憶している。その頃まだゲームに熱中していて、RPGの登場人物が日記を書いていたから、その真似をした。やってみると、やっぱり文章を書く作業だから性に合っており、中学校に入学するまで続いた。入学した後は、環境の激変に応じてぱったり止めてしまったけれど。

 

 再開したのは高校の卒業間近。とりとめのない日常を、そのとき影響を受けていた小説の文体に似せて書くのがマイブームだった。これは現在の職場に就職するくらいまで続いた。就職した後には、やっぱり環境が変わったことで日記の存在を忘れてしまい、ぱったりと止めてしまった。環境が変わってしまうと、それに適応するまではどうしてもいろいろ手につかなくなってしまうのがぼくの性分である。

 

 やがて、幾分落ち着いた頃にこの「Stchang's Diary」を始めた。どうやらぼくには一定の間隔で、日記的なものを書きたくなる時期が来るようだ。

 

 とりとめのない日常を書き記すのは結構好きな作業だったりする。ぼくが尊敬している人で、もうすでに亡くなってしまっている偉大な人が「せめて自分が輝いていた一時期だけでも日記を書いておけば、面白いものになっていたのではないか」というようなことを言っていた。その人が日記を残していたら本当に面白かっただろうな、読んでみたかったな、と少し思う。

 

 自分がそんな風に思われる日なんて多分来ないだろうが、自己満足的にでも日記を綴るのは楽しい。ぼくには写真があまりわからないし、絵などは全く描けない。ぼくにとって日記とは、自分が見た風景や、ぼくが思ったことや、考えたことなどをそっと切り取って、ノートの上に保存しておくための作業にもなっている。後々に読み返してホッとすることもあるし、めちゃくちゃ恥ずかしくなることもあるし、声を出して笑うこともあったりする。何年か後にここを読み返したときにも、同じような感覚を味わえるかもしれないから、「Stchang's Diary」はこれからもちょこちょこと続けていこうと思う。

 

 なんてことを、二日三日も更新の間が空いた人間が綴っている。

すとちゃんの愉しい交友録 ⑤ぼくじゅうさん

 すとちゃんの愉しい交友録。本日は「ぼくじゅう(@bokujuu_19)」さんを取り上げたい。

 

 この方も夜(@Yoru_i_)さんと同じく、イラストを描かれている方である。まず、例によってこちらをご覧いただきたい。

 

・Pixiv

 

www.pixiv.net

 

 

 上記に飛んでもらえればおわかりいただけると思うが、非常に柔らかく、優しく、どこかノスタルジックな絵をお描きになる方である。

 

 この方も、実は夜さんと同じようにぼくが投稿した楽曲動画「夏至の踊り子」を推してくださった方である。お礼を言った後にイラストを見て、何と言っても心がほっこりとした。疲れた時に、ふと立ち止まってコーヒーブレイクをする時のような、なんとも言えないゆったりとした感覚。あの感覚を、ぼくじゅうさんの絵からは受けることができた。

 

 知り合ってまだ日が浅いことは確かだが、いろいろなアニメや漫画を読まれているので、お話が合いそうな方は是非フォローに回ることをお勧めする。ぼくも大変仲良くお話をさせていただいている。

 

 

 第五回でした。少なくてごめんなさい。やっぱり、これからもっと仲良くなりたいです。

災難と鈍感

 本日、あまりに咳がひどいので近所の病院を受診をしたところ、肺炎のようなものに罹患していることが判明した。咳以外の自覚症状がなかったので驚きを隠せなかったが、医師の方から診断を下された時にはすでに、喉の違和感でうまく声が出なくらいの症状が出ていたので、正直原因がわかってホッとしている自分もいる。大量に薬をもらって、絶対安静プラス、室内では常時マスクを着用するようにと言い渡された。人にうつるから、とのことである。

 

 実はこの一ヶ月前くらいから、寝ても覚めても絶えず咳に悩まされていたのだけれど、「まあ咳だけやし、いつか治るわ。大丈夫やろう」と勝手に決めつけてずっと放置をしていた。それで問題なく生活をできていたところを考えると、ぼくという人間はなんという鈍感な奴なんだろうと少し思ってしまう。というのも、こういう経験は、これが最初ではないからだ。

 

 一、二年前、仕事にも幾分慣れてきた頃に寝坊をした。全力で走ればなんとか間に合うくらいの時間だったから、それはもう必死に走って、階段を駆け下り、着地し、電車に飛び乗った。実を言うとその時から足首に嫌な感じは確かにあったけれど、「まあ普通に歩けるし、大丈夫やろう」と、その時もやはり勝手に決めつけて放置し、その日の仕事を通常通りにこなした。その日は出張があったので、職場から駅まで歩いて、たどり着いた駅からまたさらに歩く、といった道のりを往復もした。

 

 仕事が終わる頃にはさすがに足の痛みも若干酷くなっていたので、「なんかバカバカしいなぁ」と思いながらも最寄りの整形外科に入った。その時の症状をありのままに伝えるとすぐに仰々しい検査が始まった。結果、「靭帯損傷」だと診断された。あっけにとられたのもつかの間、すぐに損傷している足に、それはそれは大きなギプスをはめ込まれ、あまつさえ身の丈ほどもある杖を二つ手渡されて、「それをついて、絶対に足をつかないように歩きながら帰ること」を言い渡された。いや、嘘やろう、と思わず笑ってしまったが医師は大真面目だった。結局ヒィヒィ言いながら杖をついて帰った。

 

 翌日、そんな格好で仕事場に行くと案の定大騒ぎになった。職場の方々にはとても心配をかけたので、正直今でも申し訳なく思っている。「なんでそんな傷を負いながら、昨日普通に仕事、出張をしてたんだ」と同僚に言われた。

 

 ちなみにこの傷、完治するまで実に2ヶ月近くかかった。それくらい大きな傷なのだとは全く知らなかった。そういえば、それまでは全然気にもならなかったのに、靭帯損傷だと診断を下された直後に「アイタタタタ」と足を抑えている自分がいた。もはやただのバカ者である。

 

 こんなことが、これまでのぼくの人生にはいくつか存在するのだが、これらを全部思い返して見て、「自分はひょっとして他の人よりも随分と鈍感な人間とちゃうのんか?」と気づいたのは愚かにもごくごく最近のことなのだ。これまでは幸いにも無事に生きてこられたかもしれないが、ぼくだって人なので、時間が流れれば当然、歳もとる。年齢を理由にしていろんなことを片付けるにはまだ早すぎるだろう、と勝手に考えていたけれど、どうやらぼくもそろそろ自分を労らなければいけない年になってきつつあるようだ。

 

 これからは積極的に休養を取っていこうかな。

同郷

 同じ故郷出身の人というのは当然色々な場所に存在する。勿論ぼくにもいる。この街に引っ越してくるとき、同じように就職でぼくが住んでいる街の近場に引っ越した友人もいるし、先の記事「演劇教師」のところでも少し触れたけれど、自分の故郷出身の有名人も複数いる。

 

 同郷という言葉はなんだか不思議だ。全然知らない人でも、その人がぼくと同じ場所で生まれ育った、なんてエピソードを聞くと嘘みたいに親近感がわく。自分をなんて単純なやつなんだろうと思わないでもないけれど、どうやらそんな風に親近感がわく人はぼく以外にもいっぱいいるようだ。それが証拠に、都会の方では「県民会」なるものがあり、定期的な会合を開いて同郷出身者たちが交流を深めているらしい。

 

 何年か前、引っ越してきたばかりであまりに寂しかった時に上記の話を聞きつけて、インターネットで色々と探して見つけた、上記「県民会」的な団体が企画、主催したイベントに一人で参加したことがある。しかし、実はそれは「県民会」とは名ばかりで、起業家や起業家の卵ばかりを集めてお互いの意識の向上と人脈の形成を図る、いわゆる「猛烈に意識の高い人たちだけが参加するワークショップ」的なものだった。当然、ぼくのような学も才覚もない馬鹿者などちっともお呼びではない。

 

 そこで意識の高い人たちの「武勇伝」ばかりを聞いた結果、友人を作るどころか自分の孤独感が何倍にも増した。結局、そのイベントのあとに企画されていた、打ち上げを兼ねた飲み会の参加費まで事前に支払っていたのにもかかわらず、ぼくは早々に帰宅してしまった。飲み会部分の払い戻しのことについて気にならないでもなかった。なので、念のため事前に飲み会の費用も支払っている旨を受付の人に伝えてみたが、鼻で笑われた挙句に真顔で「どうぞお帰りください」と言われてしまった。そう言った人がとてつもなくガタイのいい男性だったこともあり、ひ弱な上に臆病で愚かなぼくはそのままさっさと帰宅してしまった。あれは非常に損をしたと今でも思う。

 

 以来、「県民会」と名のつくようなイベントにはめっきり足が向かなくなってしまった。自分に胡散臭いイベントと参加するべきイベントを見分けるだけの目があればいいのだけれど、残念ながらぼくはその点において非常に鈍い人なので、果たしてどのイベントがだめで、どのイベントが有意義かなんて今でも判別が全然つかないのだった。

 

 帰省の時期が来て、都合をつけて地元に帰れば当然、その場所にいる人々は故郷の人たちなので、方言も普段ぼくが聞き慣れている言葉が使われている。一方で、ぼくが今住んでいるこの街にも、この街の人が使う言葉がある。数年も住んでいれば使用されている言葉にも慣れてくるから、すでにこの街で聞く言葉に違和感は覚えなくなったし、ある程度なら自分で使えるようにもなった。逆に故郷に帰省した時に、地元の人たちが何気なく使う方言に対して、少しばかり違和感を覚えるようになっているくらい。これは何だか妙なことだなと思う。

 

 自分もいつか、この街の言葉を普段でも使うようになるのだろうか。言葉は個人のアイデンティティそのものだ、なんて有名な小説に書いてあるようなことを持ち出して、自分が街の言葉に染まることにはっきり抵抗する気もないけれど、ぼくは自分の故郷の言葉が好きなので、これからも意識して使用する言葉を変えるつもりはなかったりもする。

 

 いつの間にか、同郷の話から言葉の話に移動してしまった。キリがいいのでこの辺で止めておくことにする。

 

 もう直ぐ帰省の時期になる。