Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

前乗り

 旅行の前日の更新になる。この後、一週間程度ブログが更新できないので、ここで報告をした上で、帰宅後はちょっとした旅行記と、帰省日記のようなものを書こうと思っていることも併せて報告しておく。

 

 さて、本日の題材に取り上げたのは「前乗り」。実はぼくは極端に早起きが苦手な人間である。この性質のせいで苦労したことがこれまでにごまんとあるし、現在進行形で苦労していることも多々ある。こんな性質の人間なので、旅行の前日にも当然のごとく寝坊して、結果的に散々な目にあったことはおそらく想像に難くないだろう。

 

 この街に来て、相当数帰省をしたのだが、あらかじめこの性質を嫌という程自覚していたので、対策を考える必要があった。そこで、最初の何度かは上記の「前乗り」を試みた。要するに、「前日のうちに空港に行き、空港の椅子で一夜を明かせば寝坊も遅刻もないのではないか」と考えたのである。

 

 一、二回までは、空港で一夜を明かすという行為の非日常感も手伝ってそれほど苦痛はなかった。むしろ面白がってすらいた。空港では24時間営業している店も複数あるし、警察官や警備員が常時見回っていて安全面もそこそこ確保されていると言う状況がある。椅子も想像しているほど寝にくいこともなく、指定の場所では携帯の充電もできるし、何と言っても同じように前乗りを敢行している人たちが何人かいて、「自分だけじゃない」という心理が次第に働いてくる。そうなるともうこっちのものである。

 

 ただ、さすがに4回目になると苦痛を感じてくる。いくら非日常でも、繰り返せば人間は慣れるし、広い景色も見飽きてくる。椅子は次第に狭く感じるし、何より眠っていると、すぐ横を通る人たちの気配をしっかりと感じ取ってしまう。その人たちが自分のことを見ている、と想像してしまうとあまり気持ちのいいものではなくなってしまう。そして眠れなくなり、結果、ふらふらのまま朝を迎えて飛行機に乗る…、と言う負の連鎖を味わうこととなってしまう。

 

 帰省と帰省の間には、当然のことながら相当の日数が空いている。にもかかわらずこうなのだから、頻繁にこういうことをしている人はよほどタフなのだと言わざるを得ない。それともぼくがひ弱なだけなのだろうか。何れにしても、こんなことを毎回は続けられないと判断した挙句、「これなら家で同じことをしたほうが楽やないか」と至極当たり前のことに気づいて意向、前乗りをぱったり止めてしまって、不安な時は家で徹夜をするようになった。

 

 なので今回も家で一夜を明かして、時間に余裕を持って行動をするつもりでいる。でも、いざすっぱりと止めてみると、バカだなぁと自分に突っ込みつつも、なんだかんだで前乗りも結構面白いものがあったと思うし、夜の空港にいる、普段ぼくが会っている人たちとはまた違う人たちを見ているのは、それだけで面白かったりもするので、機会があり、また気が向いたときにはやってみようかな、と思う。今回については、機会ではあるが気が向かない(ここのところ体調も悪いので…)ので、おとなしく家で待機した後に出発しようと思っている。

 

 以上で、出発前の最後の更新としたい。次回はおそらく7月17日(月)の更新となると思う。どうぞよろしくお願いします。

 最近、実はあまり体調が良くなかったりする。ここ二、三日腹痛に悩まされていたし、今日にいたっては足が痛かった。旅行と帰省も控えていることだし、思い切って整形外科を受診したら、なんと「痛風の疑いがある」との診断。断っておきたいのだが、ぼくはまだ20代前半である。しかも、会合でもない限りお酒もそんなに飲まないし、水分なら日頃から意識的にたくさんとっている。にもかかわらず「痛風」である。恐ろしい話だ。

 

 さて、体調が悪くなると、ぼくはとりあえず上記のように病院を受診する。受診すると、大抵は病院で処方箋を書いてもらい、それを元に薬局で薬をもらう。それをきちんと服用していれば、自然と治っている、というのが何となくのお定まりパターンとなっている。

 

 ところが、今回のように症状が重なって、それぞれの症状を見てもらうべく複数の診療科を受診すると、当然その分だけ薬をもらうことになる。そうして薬が相当数たまると、果たしてどれがどの症状に効く薬だったのか瞬時に混乱して、結果、今一番ひどい症状を緩和したいと思って飲んだ薬が、全然見当違いのものだったりしたことが愚かなぼくにはあったりする。そんなもの、薬をもらう際にもらえる説明書を読めば一目瞭然であるのに。

 

 また、薬というものはたくさん使用していると、いつしか使用する人の体の中でその薬に対する耐性ができてしまい、そうなると効きが悪くなる、とはよく聞いている話だ。だから、そもそもそんなに飲まないほうがいいのだろうし、それはぼくだってそんなに薬ばかり飲みたいとは思わない。

 

 でも、やっぱり調子がすこぶる悪い時に使用すると素晴らしく効いてくれるし、そうなるといままでの症状が嘘のようにとても楽になる。胃薬など、ちょっと前までは効果が顕著に感じられていて、飲んで1分後には「ああ楽だ」と伸びをするくらいになっていたのを思い出す(※これはぼくの完全な思い込みだと思われます)。

 

 何はともあれ、健康第一。薬に頼らずに生活できるのなら、それがベストだと思う。しっかり療養して、体調を整えよう。

腹痛と冷え

 ここのところ腹痛が続いている。この時期は毎年、エアコンが効いてくるにしたがってお腹を壊すことが多い。お腹を下すことも多いし、必然、トイレに行くことも増える(汚い話題ですみません)。もうかれこれ十年近く悩まされている気がする。

 

 トイレにこもる時は大抵本を持っていくのだけれど、腹痛が原因でこもる時は痛いものだから内容が頭に入ってこないこともある。そうするとやっぱり外に出てから読み込むことになるから、結局意味をなさないことになってしまう。

 

 あまり冷やしてはいかんと思いつつ、他方でぼくは暑いのが極端に苦手なたちなので、どうしても部屋にいる時はエアコンをつけてしまう。でもぼくの正確と相反するようにお腹は簡単に壊れて、トイレに駆け込んでしまう。この矛盾、どうにかならんか。

 

 職場でもエアコンがガンガンと効いている。あまりに効いている時など、それが真夏でも同僚は上着を羽織っている。ぼくも羽織る。そうしないと仕事に支障をきたす。

 

 ところで先日、咳が止まらないから病院を受診したら、肺炎のようなものにかかっていた、と書いたが、その際に処方された薬の効果はおよそ一週間持続するものだと説明を受けた。その上で、こうも言われた。

 

 「副作用に、腹痛を起こす心配がございます」

 

 本日、一週間が経過したのだが、昨日からまさに腹痛に悩まされているのは副作用のせいなのだろうか。そう思いつつも、エアコンが昼夜問わずガンガンと効いているのも事実。

 

 いろいろなことが有耶無耶になったまま、今日もトイレに駆け込んでしまった。

チケット

 本日、金沢行きのチケットが届いた。少しばかり不安だった日程が確定的になり、これで晴れて「金沢へ行きます」と堂々と言える。ちなみに、情報収集の方は依然として進んでいない。このままでは本当に予備知識のない旅路となってしまう。さすがにいかんと、ようやくスマホやパソコンを駆使して観光名所などを覗いたりし始めた。

 

 ところで、チケットの発券という作業を、人生であまりやってこなかったことを、本日届いたものをみながら思い出した。なのでなんとなく今日の題材に取り上げてみた。

 

 そもそもあまりコンサートやライブハウスに足を運ばない人である。当然その分、ライブチケットなどとは無縁である。加えてイベントなどにも誰かに誘われるか、先の記事に書いた県民会の件のように、よほど寂しくない限り自分からは足を運ぶ習慣のない人でもある。その分またチケットとは縁遠い生活となるのは必至である。

 

 誘われたりすると、気の利いた相手方があらかじめ発券しておいてくれて、自分に届けてくれることが大半なので、ここでもやはり自分から発券作業をすることはなかった。そんなぼくだが、先日どうしても行きたかったイベントに一人で参加する際に、およそ何年ぶりかに自分で発券作業をする機会があった。

 

 申し込んだ段階から「どうやって発券したらええんやろう」と冷や汗をかいていたのだが、いざ当選が決まった時にホッとした。あの手のものはだいたい当選などの知らせと同時に、「こちらへ料金を振り込んで、ここで受け取ってください」と丁寧に書いてあるものなのだった。何年もやってないと、こんなことさえスコンと頭から抜けているものだ。

 

 かくして、指定の場所(コンビニです)にてお金を払い、後日受け取るといった作業を経て、この時は念願(でもないですね)のチケット発券を行うことができた。当日は無事チケットを使用してイベントにも参加でき、充実した1日を過ごせた。

 

 ただ、本日に限って言えば、上記に「届いた」とある通り、郵送だった。だからそもそも発券の必要がなかった。毎回がこうならほんまに楽やな、と届いたものを前に、心なしか思わないでもなかったが、そこまで怠けるとかえってよくないやろう、とも思ってしまった。今後、どれだけ発券する機会があるかは定かではないが、その時は抜かりなくやろうと心に決めるぼくであった。

 

 よくわからない記事になってしまった。ひとまず、今日のチケットは保管しよう。

美術館と散歩

 タイトルにあるどちらも、この街にきてから好きになったもの。地元には気軽に行ける距離に美術館がなく、自分に散歩をする習慣もなかった。

 

 こちらに来てから随分歩くようになった。と言っても、色々なところに行ったわけではない。同じ場所をぐるぐると何度も往復するような形で、いつも決まって同じ場所に立ち寄ってぷらぷらとしているだけである。でもそのせいで歩く習慣がつき、心なしか体が軽くなった気がする。

 

 そんな中で、地元で気軽に行けなかった美術館にも関心が向いた。開けた場所に出向いて、比較的大きな美術館で、常設展示を鑑賞するための料金を払って、こちらでもぷらぷらとしている。もちろん第一には、そこに展示されている美術品目当てで行くのだけれど、あてどもなく散歩するような時間もはっきり楽しみの一つに含まれている。

 

 美術にはあまり詳しくない。何度も言及しているけれど、ぼくには全く絵心がない。なので学生の頃、美術の成績は散々なものだったし、歴史などのことについても全く明るくない(興味はありますが)。それでも何か心惹かれるものが確かにあるので、週末、気が向いたときにふらりと立ち寄ってしまう。常設展示だと、料金もかなり良心的で、足が向きやすいというのもある。

 

 万歩計なんてものも存在するけれど、生まれてこのかたつけたことがない。自分が歩いたことをはっきりと数値で示されるのは全くもって気にくわない…、と言うわけではない。単にどこで売っているのかもあまり知らないし、必要性を感じないのが理由である。

 

 これからは視野を広げて、色々な場所に立ち寄るようにしようかな、と思いつつ、昨日もよく行く美術館に行ってしまった。楽しかった。

 

 

金沢旅行

 金沢が石川県だということすら危うい人間が、なにを血迷ったか二泊三日で金沢旅行に行くこととなった。一人旅。これも人生で初めてのことである。

 

 もともと、近いうちに一人旅をしてみようとは個人的に考えていて、兼ねてから行き先を探していた。最初は北海道に行こうと思っていたのだが、予算や日程の都合が合わず、他に色々と探した結果、金沢に行き先を定めることとした。

 

 新幹線が開通したことで、数年前から旅行者数が劇的に増えているのが金沢、ということくらいはぼくの耳にも入っている。ただ、そこに果たしてどのような観光名所が存在するのか、どのような人がいるのか、全くわかっていない。そんな状態で行く一人旅、個人的にはなかなかにパンチがある。

 

 もちろん行くにあたってこれから色々調べる気ではいるけれど、予備知識を最低限に抑えて、あとは自分で歩くことによって様々なことを知り、見るようにするのも面白いかもしれない……、などと少し思わないでもないけれど、何を言っても初めてなので、やっぱりしっかり調べていくことになるのだろう。

 

 余談だが、その直後に帰省も控えている。実家にそのことを話すと、「旅行の時に写真を撮ってきて、帰省の際に見せてくれ」と言われてしまった。できる限り善処しようとは思うけれど、いかんせんセンスがないので、難しいところだ。

 

 一人旅が終われば、ここにちょっとした旅行記を記そうと思いつつ、今日は寝るとしよう。

日記を書くこと

 個人的な日記を初めて書いたのが、確か小学生の頃だったと記憶している。その頃まだゲームに熱中していて、RPGの登場人物が日記を書いていたから、その真似をした。やってみると、やっぱり文章を書く作業だから性に合っており、中学校に入学するまで続いた。入学した後は、環境の激変に応じてぱったり止めてしまったけれど。

 

 再開したのは高校の卒業間近。とりとめのない日常を、そのとき影響を受けていた小説の文体に似せて書くのがマイブームだった。これは現在の職場に就職するくらいまで続いた。就職した後には、やっぱり環境が変わったことで日記の存在を忘れてしまい、ぱったりと止めてしまった。環境が変わってしまうと、それに適応するまではどうしてもいろいろ手につかなくなってしまうのがぼくの性分である。

 

 やがて、幾分落ち着いた頃にこの「Stchang's Diary」を始めた。どうやらぼくには一定の間隔で、日記的なものを書きたくなる時期が来るようだ。

 

 とりとめのない日常を書き記すのは結構好きな作業だったりする。ぼくが尊敬している人で、もうすでに亡くなってしまっている偉大な人が「せめて自分が輝いていた一時期だけでも日記を書いておけば、面白いものになっていたのではないか」というようなことを言っていた。その人が日記を残していたら本当に面白かっただろうな、読んでみたかったな、と少し思う。

 

 自分がそんな風に思われる日なんて多分来ないだろうが、自己満足的にでも日記を綴るのは楽しい。ぼくには写真があまりわからないし、絵などは全く描けない。ぼくにとって日記とは、自分が見た風景や、ぼくが思ったことや、考えたことなどをそっと切り取って、ノートの上に保存しておくための作業にもなっている。後々に読み返してホッとすることもあるし、めちゃくちゃ恥ずかしくなることもあるし、声を出して笑うこともあったりする。何年か後にここを読み返したときにも、同じような感覚を味わえるかもしれないから、「Stchang's Diary」はこれからもちょこちょこと続けていこうと思う。

 

 なんてことを、二日三日も更新の間が空いた人間が綴っている。