Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

動物を飼うこと

 ぼくの実家には現在も猫がいる。ぼくが故郷に居た時から、佇まいがなかなかにふてぶてしい猫で、よく壁を引っ掻くし、気に食わないとぼくら飼い主を平気で噛む。手などたまに本気で噛む。それで痛い思いをしたことも一度や二度ではない。それでも、自分が甘えたい時などには10分、15分、平気でぼくの足にまとわりついているし、それに応えて抱いてやると懐でいつの間にかすやすや寝ている。そんな時、今までこやつが行ってきた一切の所業を瞬間、許している自分を人知れず発見する時は、思わず笑ってしまう。

 

 その猫を飼う前、うちには雑種犬が居た。この犬はぼくが幼少の頃に、ぼくが頼んで祖母の家から連れてきた。動物を、その子が小さい頃から飼っていた経験のある人はわかると思うが、犬や猫の成長スピードは尋常ではない。昨日庭で抱き上げられた子が、次の日には立ち上がった時などぼくより背が高くなっているくらいの感覚である(※実際はそんなことはありません)。

 

 色々あったけれど、一貫して可愛い犬だった。雑種犬だったけれど、「この子は多分、遠戚にいい犬がいるだろう」、と獣医の方から聞いた時は、幼心にすごく誇らしい気持ちにもなった。

 

 大きくて元気いっぱいの犬だったが、ある日、いつもと様子が違うことに気づく。大きな体が小刻みに震えているし、それまでと比べて明らかに元気がない。不審に思って病院に連れて行った時は遅かった。「フィラリア」だと診断された。すでに病気は全身を犯していて、わけがわからないまま人生で初めて、近しい存在の余命宣告を受けた。その時、ぼくはすでに高校2年生になっていた。

 

 その後の三日間は感覚がなかった。何をしても呆然としているような、笑いたくても笑い方がわからないような、そんな感じであった。こう書くと大げさに聞こえると思う。実際にぼくも、この子が元気でいる時でさえ、他の友達が自分の飼っている動物の死を嘆いている様子を、心のどこかで「大げさだ」と思っていたから。こういうのは多分、経験しないとわからないことなのだろう。

 

 最後にこの子と散歩した時のことを、今でも鮮明に覚えている。

 

 その時にはもう、弱りきって歩くことすらままならなくなってしまっていた。その日、その子は遠くの景色をぼーっと見ながらも、ぼくにはその子が、どこか外の景色が見たいような、寂しそうな顔をしているように見えたから、これは完璧にぼくのエゴだと承知の上で、家族に許可を得た後、ぼくが抱き上げて散歩コースを歩いた。

 

 景色が、いつもとは全然違うように見えた。その子の体は震えていて、熱が直に伝わってくる。この熱が、この子が今まさに、生と死の間に立っているんだとぼくに思わせた。そう思った自分をなんて陳腐なんだろうと思って、その他にも色々な感情がない交ぜになって涙がどんどん出てくる。

 

 その時、その子の震えが大きくなったから、ぼくは足を止めて一旦下ろした。その子はふらふらと草むらの方に歩いて行って、その場に座った。そして用を足そうとして、衰弱しきった体を一層震わせた。やがて用を終えて、でも震えは全然止まらなくて、そのままぼくの方を見た。

 

そして、本当に申し訳なさそうに、一声、小さく吠えた。

 

 ぼくは泣き崩れた。

 

 「やめてよ。謝りたいんは、こっちの方じゃよ」。心の底からそう思った。その子との思い出は本当にたくさんある。辛かったことも、楽しかったことも、ある。もっとずっと過ごしたかった。こんな風になってしまうなんて、想像もしてなかった。

 

 その子は翌日、ぼくが学校から帰ってきた時に、庭に横たわったまま動かなくなっていた。本当に、穏やかに目を閉じているように見えた。「お疲れ様」。自然に出たこの言葉が適切だったのかなんて、未だに全然、わからない。火葬する時も、ぼくは無理矢理笑っていた。最後の散歩で、すでにたくさん泣いていたから。

 

 動物を飼うには覚悟がいる。それこそ色々な覚悟がいると思う。一言で説明できないこともたくさんあるし、問題、課題も数多い。それでも、覚悟を持って動物を飼う人は素敵だと思う。飼われているその動物が幸せかどうかなんて、ぼくにはわからない。そのことについてごちゃごちゃ考える気もない。「わからないけど、幸せを願う」。それでいいと思っている。

 

 今度帰ったら、うちの猫を追い回してやろう。