Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

作詞について

 昔、中学時代の頃はよく大学ノートに詩だけ書いていた。それこそ、今見せれば「ポエム」と揶揄されてもおかしくないような代物を書いていた。それも嬉々として。典型的な中二病だ。気持ち悪い学生だと今は思ってしまう。でも書いている時は本当に楽しかったし、実際に出来上がったものにも当時は満足していた。

 

 他方で、他の人が書いたものを読んだりはしなかった。前の記事で本や読書のことについて触れたけれど、ぼくが読むのは今も昔ももっぱら小説の類で、その時から詩は本当に読まなかった。教科書に載っている詩人、それこそ谷川俊太郎だったり、石垣りんだったり、茨木のり子だったりすると、数学の授業でも国語の教科書を引っ張り出して読みふけるくらいには国語の教科書が好きだったので、目に触れる機会もあった。その中でも石垣りんは素敵だと思った。個人的に『表札』がとてもよかったから、その詩が載っている、岩波から出ている詩集だけはこの街に出てきてから買って、今もちびちびと読んでいる。

 

 自分が曲を作るようになってから、「歌ものを作る時には歌詞が必要である」という至極当たり前のことに気づいて、最初は中学時代のポエムを引っ張り出してきた。高校卒業の頃である。一見して、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながらも、ここにしか自分の詩のストックがなかったから覚悟を決めて、どうにか曲に合わせて改変して、やっと出来上がったものを弾き語りで親や妹に聴かせるなどしていた。

 

 最初はもう本当に散々なことを言われた。それこそ色々と耳に痛いことを言われていたのだが、その中でもとりわけよく言われていたのは、歌詞が「ひたすら長い」ということと、「何の内容も意味もない」ということだった。

 

 この感想(批判ですかね)のうち、「ひたすら長い」ことについては、正直な話、今も対して変わらないという自覚があるのでなんとも言い難い。長らく小説を書いていたので、詩にしろ他の文章にしろ、どちらかといえば長く書いている方が好きな人である。現にこの「Stchang's Diary」だって、動画などの宣伝時でもない限り文字ばかりをバカのように書き連ねている(写真の類に疎いせいもありますが)。もちろん、何にしろ書く時には読んでくださっている方にできるだけ楽しんでもらえるように書いているつもりではあるけれど、実際にはおそらく自己満足で終わっているのだろう。

 

 ただ、次の感想にある「何の内容も意味もない」ことについては、当時は反発しまくっていた。たとえどれほど「趣味の悪いポエム」だと揶揄されようとも、自分の歌詞に意味も内容もないなんてことはありえないと信じきっていた。何なら「高貴なる志に基づいて、非常に精巧な文体で極めて美しく、それでいて深遠なテーマ性を持ったもの目指して書いているのだ」と本気で思ってさえいた。今、その高貴なる志を恐れ多くも読み返すと、その時のぼくには大変申し訳ないがすべてを闇に葬り去りたい衝動に駆られるけれど。

 

 やがて自作曲が増え始めるとともに、ぼくが始めるよりずっと前にDTMをやっていた地元の友達がいて、その友達に頼まれて初めて「作詞」というものをやり始めた。その友達がいたく褒めてくれるものだから随分調子に乗った。当然ながら自作曲に合わせるポエムにも限りがあり、ぼちぼちストックがなくなってきていたことから、友達へ提供する流れで自分の曲にも新たに「作詞」をするようになったが、自分の曲に関してはその後も方々から批判されまくっていたので、この時点でどうやら自分の曲の方に問題があるのだと思い至った。

 

 友達はテクノミュージックを作っていて、現在はあまりDAWに触っていないようだが、本当に素晴らしい作曲家だった(今でもそう思っています)。その友達と比べるまでもなく、自分には曲作りの才能はないのだろうと思った。曲などのことについては、また別の機会に書いてみようと思うので詳細は割愛するけれど、その後も曲作りと作詞を批判されながらもぼちぼちとやり続けて、最近になってようやっと「まずまず作れるようになったな」と自分に納得し始めたところへ、現在、交流のある方々がぼくに声をかけてくれて今に至る。

 

 ポエムを書いている頃から今まで、自分の中で一貫して変わっていないのは「楽しい」という感想だった。何を言っても作詞という作業は楽しい。ポエムも楽しかったし、今も楽しい。変化といえば、大学ノートからiPhoneのメモ機能に執筆先が変わったことと、ポエムと比べて少しはましなものがかけるようになったことくらい。

 

 この先も作詞はずっとやっていきたい、と一人で勝手に思っている今日この頃である。