Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

災難と鈍感

 本日、あまりに咳がひどいので近所の病院を受診をしたところ、肺炎のようなものに罹患していることが判明した。咳以外の自覚症状がなかったので驚きを隠せなかったが、医師の方から診断を下された時にはすでに、喉の違和感でうまく声が出なくらいの症状が出ていたので、正直原因がわかってホッとしている自分もいる。大量に薬をもらって、絶対安静プラス、室内では常時マスクを着用するようにと言い渡された。人にうつるから、とのことである。

 

 実はこの一ヶ月前くらいから、寝ても覚めても絶えず咳に悩まされていたのだけれど、「まあ咳だけやし、いつか治るわ。大丈夫やろう」と勝手に決めつけてずっと放置をしていた。それで問題なく生活をできていたところを考えると、ぼくという人間はなんという鈍感な奴なんだろうと少し思ってしまう。というのも、こういう経験は、これが最初ではないからだ。

 

 一、二年前、仕事にも幾分慣れてきた頃に寝坊をした。全力で走ればなんとか間に合うくらいの時間だったから、それはもう必死に走って、階段を駆け下り、着地し、電車に飛び乗った。実を言うとその時から足首に嫌な感じは確かにあったけれど、「まあ普通に歩けるし、大丈夫やろう」と、その時もやはり勝手に決めつけて放置し、その日の仕事を通常通りにこなした。その日は出張があったので、職場から駅まで歩いて、たどり着いた駅からまたさらに歩く、といった道のりを往復もした。

 

 仕事が終わる頃にはさすがに足の痛みも若干酷くなっていたので、「なんかバカバカしいなぁ」と思いながらも最寄りの整形外科に入った。その時の症状をありのままに伝えるとすぐに仰々しい検査が始まった。結果、「靭帯損傷」だと診断された。あっけにとられたのもつかの間、すぐに損傷している足に、それはそれは大きなギプスをはめ込まれ、あまつさえ身の丈ほどもある杖を二つ手渡されて、「それをついて、絶対に足をつかないように歩きながら帰ること」を言い渡された。いや、嘘やろう、と思わず笑ってしまったが医師は大真面目だった。結局ヒィヒィ言いながら杖をついて帰った。

 

 翌日、そんな格好で仕事場に行くと案の定大騒ぎになった。職場の方々にはとても心配をかけたので、正直今でも申し訳なく思っている。「なんでそんな傷を負いながら、昨日普通に仕事、出張をしてたんだ」と同僚に言われた。

 

 ちなみにこの傷、完治するまで実に2ヶ月近くかかった。それくらい大きな傷なのだとは全く知らなかった。そういえば、それまでは全然気にもならなかったのに、靭帯損傷だと診断を下された直後に「アイタタタタ」と足を抑えている自分がいた。もはやただのバカ者である。

 

 こんなことが、これまでのぼくの人生にはいくつか存在するのだが、これらを全部思い返して見て、「自分はひょっとして他の人よりも随分と鈍感な人間とちゃうのんか?」と気づいたのは愚かにもごくごく最近のことなのだ。これまでは幸いにも無事に生きてこられたかもしれないが、ぼくだって人なので、時間が流れれば当然、歳もとる。年齢を理由にしていろんなことを片付けるにはまだ早すぎるだろう、と勝手に考えていたけれど、どうやらぼくもそろそろ自分を労らなければいけない年になってきつつあるようだ。

 

 これからは積極的に休養を取っていこうかな。