Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

お菓子

 先日、実家からたくさんの荷物が送られてきた。主に食品なのだけれど、その中には大量のお菓子も含まれていた。とてもありがたい。ぼくは普段お菓子をパクつくことがよくある。現在の、経済的にそんなに無理のできない状況で、たくさんのお菓子を送ってもらえるのは、自分で買いに行かなくていい分、手間もお金も節約できて嬉しい限りだ。

 

 好きなお菓子は何かと考えてみたとき、パッと浮かんだのはポテトチップスだった。メーカーにはこだわらない。強いて言えばうすしおが好きだけれど、味もあんまりこだわらない。ピザ味でものりしおでも、なんでも美味しい。そういえば、母もポテトチップスが好きな人だった。健康のことなんかを考えたりすると、化学調味料などをふんだんに盛り込んでいるであろうポテチは控えるべきなのだろうが、細かいことを気にしすぎては生きていけないと、こんなところだけ正論を持ってくる。

 

 最近はグミもよく食べる。遠出した帰りなど、ぼくはよくコンビニに寄ってコーヒーと一緒にグミを買う。グミに関してはどちらかというと思い切り甘いものよりも多少酸っぱいものの方が好みだったりする。酸っぱいものは嫌いではない。梅やレモンなども好きだし、それらを使用したお菓子も好きだ。

 

 作業の合間にお菓子を食べていると、現在の自分がとても平和な空間にいることを唐突に実感することがある。つかの間の充足を得て、また気がついたら明日の予定を思い出して少しばかりため息を吐いている。そんなときは大抵お菓子を食べ終えた後。安息を感じられるのも、お菓子のもたらす作用の一つなのだろう。

 

 間食は敵とはダイエット中によく言われるけれど、たまには三時にお菓子をつまむのもいい気分転換になる。ぼくの場合普段の三時は仕事中だし、お菓子をつまむのは「たまに」では済まないところが難点か。

 

 当分、安息に困らずに済みそうで何よりだ。

エッセイ、対談、インタビュー

 「Stchang's Diary」も、日記とは名ばかりに半ばエッセイを綴っているようなものだけれど、エッセイなどに対する憧れみたいなものは昔からあった。ぼくには「この人は、実は小説もエッセイも書いているけれどぼくはエッセイしか読んだことがない」みたいな作家が何人かいる。小説を読んで見て「合わないな」と思っても、エッセイを読むとずいぶんしっくりくる人が割合に多いように思う。

 

 ちなみにエッセイの起源は「モンテーニュ」と言う、はるか昔に実在したフランス人の「エセー(随想録)」と言う書物なのだそう。ぼくはこれをこの街の図書館で見かけて、一応ペラペラとめくったことはあるけれど真剣に読んだことはない。なので偉そうなことは間違っても言えない。

 

 また、対談などにも惹かれる。こちらになると本として出版されているもの以外に、テレビ番組でも行われていたりする。アニメや映画の放映などを除いて普段テレビをあまり見ない人なのだけれど、対談番組がたまたま映ったりすると思わず手を止めて見ていたりする。番組名に明るくないので下手なことは言えない。なのでどの番組がいい、などは言うのを控えようと思うけれど、対談番組は結構面白い。

 

 インタビュー記事になると、主にミュージシャンが受けているものを読む。大抵音楽雑誌か、さもなくばインターネット上に上がっている記事になる。一時期YouTubeなどで、ミュージシャンの行っている(いた)ラジオ番組を延々と聞き続けることにはまっていたことがあり、その時にそのミュージシャンが自分を担当していたレコード会社の社員だったり、仲のいい音楽記事のインタビュアー、編集者だったりを帯同して番組を進行しているものも聞いていた。その業界に全く詳しくないからやはり下手なことは言えないが、ラジオに出演するくらいだからその方々もやっぱりお話は面白かった。

 

 上記の三つを読んだり、見たり、聞いたりするのは、自分が興味を持った人がどのような考え方をして生きているのか、その方がクリエイターだと、普段どんな風に考えながら作品なんかを作っているのか、自分の普段の生活に対してどんな感想を抱いているのか、もしくはいないのか、などを知るいい機会になる。ぼくは作品に興味を持つと、それを作り出した人にも興味が向くタイプの人なので、こういうのは普段よくチェックしている。単純に暇つぶしにももってこいだし。

 

 最近はあんまり読んでないけれど、また読んで行こうと思う。

温泉

 なんだかジジ臭いタイトルが続いているが、温泉。

 

 地元では、行きつけの銭湯があったから父とよく行っていた。結構広々としており、今住んでいる街と比べて人口も少ないものだから快適に過ごせていた。のびのびと足を伸ばして風呂に入るのは気持ちがいい。普段入らないようなもの、サウナだったり湯の成分が違うものだったりに入るのも面白いし、ぼくは結構好きだった。

 

 こっちに引っ越してきて、一度、一人で街の大きな温泉に行ったことがあるけれど、さすがに地元の銭湯のようにはいかなかった。何と言っても人が多い。湯に入るにも一苦労、体を洗うにも一苦労。それ以来、あまり足が向かなくなってしまった。

 

 遠出する機会があった時に、その場所の温泉に入ったことがある。有名な山の近くにある温泉で、やっぱり見晴らしは最高、湯加減も良かった。人も街と比べるとそれほどいなかったし、すごく良かったけれど、行くだけで時間がかかるし、交通費もばかにならないからそれ以来行っていない。また行きたいとは常々思っているけれど。

 

 帰省するたびに、父と地元の銭湯に行くのが通例になっている。その度に、「ここはなんて快適なんだろう」と思ってしまうのはおそらく地元バカになっているだけではないだろうと思っている。

 

 近々帰省するし、夏だけれどまた銭湯行こうかな。今日は父の日。父と話していて、ふと思い出したのでこの話題にしてみた。

 

 気温は日に日に上がっていく。

お酒

 普段は一切飲まない。飲み会、忘年会、新年会など、何かしらの行事があったり、あるいは友達と会ったりした時に飲むことは飲む。ただ、お酒が嫌いなわけではない。むしろ好きな方だと思う。その証拠に、行事があったりした時はこれ幸いとばかりに飲む。たらふく飲む。

 

 一番好きなのは焼酎。ビールはあまり。乾杯は大抵ビールだから、その時に興が乗ればしばらくはビール。だいたい二杯目くらいからは焼酎に切り替える。さらに興が乗ればウイスキーなども入れる。

 

 焼酎は芋がいい。麦も好きだけれど、どちらかと言われればやはり芋。何と言っても味がいい。最近は「黒霧島」ばかりを飲んでいる気がする。あれは美味しい。

 

 昨日更新しなかった上に、この後はできそうにないので、今Diaryを更新している。本日、友達と飲んできます。焼酎、久々やな。

ハルキスト

 先の記事でも村上春樹のことを書いたので、今日の題材に取り上げてみた。ただ、最初に断っておくが、ぼくは「ハルキスト」ではない。それほどこの方の著作を読み込んでないし、そもそも数自体でもそんなに読んでない。確実に好きだとは思うし、よく読み返したりもするけれど、この記事のタイトルに位置付けられている人たちほど思い入れがあるわけではないと思っている。

 

 毎年、ノーベル文学賞の季節になると、よくニュースで話題になるのがハルキストの方々の、村上春樹受賞への期待。この方々の「今年こそ」と思う気持ち、それ自体にはぼくも少なからず共感はしている。だから毎年季節が訪れると、村上春樹の本、だいたい「ノルウェイの森」か「風の歌を聴け」あたりを本棚から引っ張り出してきて意味もなく読んだりはしている。

 

 去年も同様に期待があり、受賞が発表されて落胆があった。ただ、去年に限って言えば受賞したのがボブ・ディランだったから、個人的には落胆より先に大きな喜びが出たし、ニュースでも言及されていたけれど、ハルキスト、そして当の村上春樹ご本人も喜んでいたのではなかろうかと思っている(昨年の発表以降の著作を読んでいないので、正確なところはわかりません。あくまで推測です)。

 

 一番好きなのは「風の歌を聴け」。村上春樹自身はこの作品をあまり気に入っていない、みたいなことをどこかで読んだ気がする。でも、なぜだか読み返した回数が圧倒的に多い。「海辺のカフカ」も好きだと思っている。でも、じゃあこの人の作品を説明してみろ、と言われてもぼくには絶対にできない。それはなぜだろう。その理由すらもぼくの中では不明確である。じゃあそもそもなんで好きなんだと言われれば、それはそれでやっぱり不明確だった。でも、好きだ。それは確かだと思っている。

 

 こんな曖昧な人間が、自分のことを「ハルキストだ」なんて臆面もなく言った日には、まず間違いなく「やれやれ」と呆れられるだろう。それこそワタナベがそうするように。

映画

 それなりに映画をみる人だ。好きな映画なども、実は相当数あったりする。監督で作品を選んだりするくらいには映画をみるから、ひょっとして映画好きの部類に入るのかもしれないけれど、自覚は、なぜだかあんまりない。

 

 邦画で好きなのは「GO」と「ピンポン」。両方とも原作があり、窪塚洋介が主演で、とんでもない濃度の青春映画。窪塚洋介は大好きです。「GO」は特に原作から大ファンで、これと「池袋ウエストゲートパーク」というドラマは原作を読んで、そこからドラマの存在を知った。ちなみに「池袋ウエストゲートパーク」も窪塚が準主役で出ている。こっちではまさに怪演していたから、その次に「GO」をみたときにすごく真面目な役をしていてびっくりした。「なんて感性の幅が広い人なんだろう」と思ったのをよく覚えている。

 

 背伸びしてDVDをレンタルしていた高校生のときに出会ったのは北野武黒澤明北野武は言わずもがな「ビートたけし」その人である。「HANA-BI」を見て、暴力的な映画なのに嘘みたいに美しい雰囲気に惹かれた。この人の「キッズリターン」は父に勧められて一緒にみた。父がいたく褒めていたクライマックスでのセリフは、父が褒めたからというわけではないけれど、数年経った今でもはっきりぼくの胸に焼きついている。北野映画でぼくがみた映画の中でのベストを選ぶなら「ソナチネ」になる。

 

 黒澤明は作品全部を網羅したわけではない(実は北野映画もそうですが)。最初に見たのは「隠し砦の三悪人」、次が「七人の侍」、あとは数える程度しか見てない。「七人の侍」がめちゃくちゃ面白かった。高校生の頃、ご飯を食べながら見ていて、面白くてご飯を忘れていた映画だった。ただ、リメイク版の「荒野の七人」はちゃんとみれていない。興味はあるけれど。

 

 洋画。一番は何かと言われれば「グッド・ウィル・ハンティング」だと断言したい。こればっかりは何十回と繰り返してみたし、今でも折に触れて見返している。思い出すだけで涙が出そうになる映画って、ぼくの中にはそんなに多くないけれど、この映画はまさにそうだし、みるたびに胸がいっぱいになる。

 

 あまり日本では有名ではないかもしれないけれど、「マイ・フレンド・フォーエバー」と言う映画の印象もあまりに強い。学校での授業の一環でみさせられて、作品のあまりの良さに授業なんて吹き飛んだ。自分が20歳を超えて見返して、それはもう恥ずかしいくらいに泣いた。すごい映画だと思う。

 

 月並みだけれど「スタンド・バイ・ミー」。主題歌も含めて非常に好きな映画。この主人公たちくらいの年代で、間違いなく抱いているのにうまく言い表せない心の機微を圧倒的に表現していると思う。こんな映画をもっと見たいと思うけれど、実はそんなに見つけられてなかったりする(※あくまで主観です)。

 

 最近の洋画だと、嘘みたいに良かったのは「沈黙」。マーティン・スコセッシもやはり全作を網羅してはいないけれど、間違いなく好きだと言える映画作家の一人。「グッドフェローズ」も「ギャング・オブ・ニューヨーク」もすごく良かったけれど、実はこの人の他の有名作をちゃんと見れていなかったりする。ただ、ぼくがみた数少ないスコセッシ作品の中でも、群を抜いて「沈黙」は良すぎた。自分がずっとごちゃごちゃ考えていることのほとんどが目の前にあるような感覚。絶対にもう一回はみるつもりでいる。

 

 ちなみに、最近の邦画のNo.1は「君の名は」です。映画館で三回みました。ありえないくらいに好きです。

 

バンド

 知り合いにはバンドを組んでいる人が比較的多かった。ぼくがDTMを始めるきっかけになった当時の親友も、高校生の頃は学生バンドをやっていて、ライブハウスにも出入りしていた(らしいです。ぼくは連れて行ってもらえなかったです)。親友の友人は、その当時ぼくの地元でそこそこ有名なバンドマンだったし、また別の友人で、ぼくと同じ高校に通っていた人になると、現在もプロとして、バンドを組んで活動しているらしいと風の噂で聞いた。

 

 そのバンドの名前は知らない。その人は学生時代、それはもう相当な「リア充」で、女子を侍らせ、教室内でギターを弾き、廊下では「音楽で食っていく」と誰が聞いたわけでもないのに高らかに宣言していた。その時、いわゆるスクールカーストの最底辺に位置していたぼくには散々嫌がらせをしてきたから、もう知りたいとも思わない。

 

 高校生の間に目論んでいた就職に失敗して、色々と奔走している時に出会った同級生もバンドを組んでいた。この人も現在まで地元でバンドを組み、ぼくがこの街に来て以降も活動を続けており、それ相応に有名なアーティスト(メジャーアーティストだったと思います)と対バンの経験もあるようだった。これも風の噂で聞いたこと。

 

 この人も、その時はぼくと同じように就職に奔走していた。ぼくよりも早く決まったのをいいことに、なかなか決まらないであくせくしていた時に、やはり散々なことを思い切り言い散らされた経緯があるので、知りたいどころか二度と会いたいとも思わない。

 

 上記のような散々な経緯から、ぼくは一時期、「バンドをやっている人間というものは、必ずどこかしら性格が破綻してるんだろうな」と信じ込んでいた。ぼくが大好きなバンド、Oasisも「Dont look back in anger」で、「ロックンロールバンドに身を委ねるな」と歌っているし(ここでは都合よく引用しただけです…)、正直今でも、ぼくには若干そうなのかもと思っている節がある。

 

 そういうぼくだって、そんなことがある前、それこそ中学生から高校1年生の頃までは、自分もバンドというものを組んでみたいな、と人並みに…、いやそれ以上に思っていた。この時点でぼくもまたどこか嫌な奴ではあるのだろう。ただ、幸か不幸かぼくは高校の頃、スクールカーストの最底辺だったものだから、バンドどころか普段の会話さえまともに相手にしてくれる人がいなかった。

 

 なので結局バンドなんか言うに及ばず、話をする友達すらできないまま、文化祭は体育館の隅っこで一人体育座りをして、ステージ上で自らの青春を満面の笑みで謳歌しまくっている、眩しすぎて直視できない人たちを嫌が応にも目に焼き付けながら、人知れず内側で大きく傷ついているという、典型的哀れな学生として三年間を過ごした。

 

 そんなぼくが、やがて上記の親友に依頼されて親友の曲に歌詞を書くようになり、その後、親友の影響を受けてDTMを始めた時、自分がやる音楽として、バンド形式の音楽を志向したのは、ある意味必然だったのだろう。ただ、そもそも真っ当にバンドが組めていれば、今のように真剣にDTMなんてやろうとは思わなかっただろうから、そのことを考えると複雑な心境にはなるけれど。

 

 ちなみに今は、上記の若干の不信感の他に、「バンドをやっている人の中にだって間違いなくいい人はいるのだろう」とは思っている。