Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

すとちゃんの愉しい交友録 ⑤ぼくじゅうさん

 すとちゃんの愉しい交友録。本日は「ぼくじゅう(@bokujuu_19)」さんを取り上げたい。

 

 この方も夜(@Yoru_i_)さんと同じく、イラストを描かれている方である。まず、例によってこちらをご覧いただきたい。

 

・Pixiv

 

www.pixiv.net

 

 

 上記に飛んでもらえればおわかりいただけると思うが、非常に柔らかく、優しく、どこかノスタルジックな絵をお描きになる方である。

 

 この方も、実は夜さんと同じようにぼくが投稿した楽曲動画「夏至の踊り子」を推してくださった方である。お礼を言った後にイラストを見て、何と言っても心がほっこりとした。疲れた時に、ふと立ち止まってコーヒーブレイクをする時のような、なんとも言えないゆったりとした感覚。あの感覚を、ぼくじゅうさんの絵からは受けることができた。

 

 知り合ってまだ日が浅いことは確かだが、いろいろなアニメや漫画を読まれているので、お話が合いそうな方は是非フォローに回ることをお勧めする。ぼくも大変仲良くお話をさせていただいている。

 

 

 第五回でした。少なくてごめんなさい。やっぱり、これからもっと仲良くなりたいです。

災難と鈍感

 本日、あまりに咳がひどいので近所の病院を受診をしたところ、肺炎のようなものに罹患していることが判明した。咳以外の自覚症状がなかったので驚きを隠せなかったが、医師の方から診断を下された時にはすでに、喉の違和感でうまく声が出なくらいの症状が出ていたので、正直原因がわかってホッとしている自分もいる。大量に薬をもらって、絶対安静プラス、室内では常時マスクを着用するようにと言い渡された。人にうつるから、とのことである。

 

 実はこの一ヶ月前くらいから、寝ても覚めても絶えず咳に悩まされていたのだけれど、「まあ咳だけやし、いつか治るわ。大丈夫やろう」と勝手に決めつけてずっと放置をしていた。それで問題なく生活をできていたところを考えると、ぼくという人間はなんという鈍感な奴なんだろうと少し思ってしまう。というのも、こういう経験は、これが最初ではないからだ。

 

 一、二年前、仕事にも幾分慣れてきた頃に寝坊をした。全力で走ればなんとか間に合うくらいの時間だったから、それはもう必死に走って、階段を駆け下り、着地し、電車に飛び乗った。実を言うとその時から足首に嫌な感じは確かにあったけれど、「まあ普通に歩けるし、大丈夫やろう」と、その時もやはり勝手に決めつけて放置し、その日の仕事を通常通りにこなした。その日は出張があったので、職場から駅まで歩いて、たどり着いた駅からまたさらに歩く、といった道のりを往復もした。

 

 仕事が終わる頃にはさすがに足の痛みも若干酷くなっていたので、「なんかバカバカしいなぁ」と思いながらも最寄りの整形外科に入った。その時の症状をありのままに伝えるとすぐに仰々しい検査が始まった。結果、「靭帯損傷」だと診断された。あっけにとられたのもつかの間、すぐに損傷している足に、それはそれは大きなギプスをはめ込まれ、あまつさえ身の丈ほどもある杖を二つ手渡されて、「それをついて、絶対に足をつかないように歩きながら帰ること」を言い渡された。いや、嘘やろう、と思わず笑ってしまったが医師は大真面目だった。結局ヒィヒィ言いながら杖をついて帰った。

 

 翌日、そんな格好で仕事場に行くと案の定大騒ぎになった。職場の方々にはとても心配をかけたので、正直今でも申し訳なく思っている。「なんでそんな傷を負いながら、昨日普通に仕事、出張をしてたんだ」と同僚に言われた。

 

 ちなみにこの傷、完治するまで実に2ヶ月近くかかった。それくらい大きな傷なのだとは全く知らなかった。そういえば、それまでは全然気にもならなかったのに、靭帯損傷だと診断を下された直後に「アイタタタタ」と足を抑えている自分がいた。もはやただのバカ者である。

 

 こんなことが、これまでのぼくの人生にはいくつか存在するのだが、これらを全部思い返して見て、「自分はひょっとして他の人よりも随分と鈍感な人間とちゃうのんか?」と気づいたのは愚かにもごくごく最近のことなのだ。これまでは幸いにも無事に生きてこられたかもしれないが、ぼくだって人なので、時間が流れれば当然、歳もとる。年齢を理由にしていろんなことを片付けるにはまだ早すぎるだろう、と勝手に考えていたけれど、どうやらぼくもそろそろ自分を労らなければいけない年になってきつつあるようだ。

 

 これからは積極的に休養を取っていこうかな。

同郷

 同じ故郷出身の人というのは当然色々な場所に存在する。勿論ぼくにもいる。この街に引っ越してくるとき、同じように就職でぼくが住んでいる街の近場に引っ越した友人もいるし、先の記事「演劇教師」のところでも少し触れたけれど、自分の故郷出身の有名人も複数いる。

 

 同郷という言葉はなんだか不思議だ。全然知らない人でも、その人がぼくと同じ場所で生まれ育った、なんてエピソードを聞くと嘘みたいに親近感がわく。自分をなんて単純なやつなんだろうと思わないでもないけれど、どうやらそんな風に親近感がわく人はぼく以外にもいっぱいいるようだ。それが証拠に、都会の方では「県民会」なるものがあり、定期的な会合を開いて同郷出身者たちが交流を深めているらしい。

 

 何年か前、引っ越してきたばかりであまりに寂しかった時に上記の話を聞きつけて、インターネットで色々と探して見つけた、上記「県民会」的な団体が企画、主催したイベントに一人で参加したことがある。しかし、実はそれは「県民会」とは名ばかりで、起業家や起業家の卵ばかりを集めてお互いの意識の向上と人脈の形成を図る、いわゆる「猛烈に意識の高い人たちだけが参加するワークショップ」的なものだった。当然、ぼくのような学も才覚もない馬鹿者などちっともお呼びではない。

 

 そこで意識の高い人たちの「武勇伝」ばかりを聞いた結果、友人を作るどころか自分の孤独感が何倍にも増した。結局、そのイベントのあとに企画されていた、打ち上げを兼ねた飲み会の参加費まで事前に支払っていたのにもかかわらず、ぼくは早々に帰宅してしまった。飲み会部分の払い戻しのことについて気にならないでもなかった。なので、念のため事前に飲み会の費用も支払っている旨を受付の人に伝えてみたが、鼻で笑われた挙句に真顔で「どうぞお帰りください」と言われてしまった。そう言った人がとてつもなくガタイのいい男性だったこともあり、ひ弱な上に臆病で愚かなぼくはそのままさっさと帰宅してしまった。あれは非常に損をしたと今でも思う。

 

 以来、「県民会」と名のつくようなイベントにはめっきり足が向かなくなってしまった。自分に胡散臭いイベントと参加するべきイベントを見分けるだけの目があればいいのだけれど、残念ながらぼくはその点において非常に鈍い人なので、果たしてどのイベントがだめで、どのイベントが有意義かなんて今でも判別が全然つかないのだった。

 

 帰省の時期が来て、都合をつけて地元に帰れば当然、その場所にいる人々は故郷の人たちなので、方言も普段ぼくが聞き慣れている言葉が使われている。一方で、ぼくが今住んでいるこの街にも、この街の人が使う言葉がある。数年も住んでいれば使用されている言葉にも慣れてくるから、すでにこの街で聞く言葉に違和感は覚えなくなったし、ある程度なら自分で使えるようにもなった。逆に故郷に帰省した時に、地元の人たちが何気なく使う方言に対して、少しばかり違和感を覚えるようになっているくらい。これは何だか妙なことだなと思う。

 

 自分もいつか、この街の言葉を普段でも使うようになるのだろうか。言葉は個人のアイデンティティそのものだ、なんて有名な小説に書いてあるようなことを持ち出して、自分が街の言葉に染まることにはっきり抵抗する気もないけれど、ぼくは自分の故郷の言葉が好きなので、これからも意識して使用する言葉を変えるつもりはなかったりもする。

 

 いつの間にか、同郷の話から言葉の話に移動してしまった。キリがいいのでこの辺で止めておくことにする。

 

 もう直ぐ帰省の時期になる。

楽器演奏

 恥ずかしながら、ぼくは前に記事に出したギターしか弾けない。本当にド下手でよければ、実はベースも少々できたりはするが、自分では持っていない上にここ何年か全然触っていないから、果たして今もきちんと弾けるのかと言われれば、あまり自信がない。

 

 こんな風にちゃんと作曲を始める前は、「いろいろと目立つことができる」と一丁前にプレイヤーを志向していて、中でもドラムやキーボードに憧れていた時期がある。ドラムに対しては正直今でも憧れがある。キーボードは高度な技術を会得するのが難しそうに思えて早々に諦めた。

 

 そのドラムは、以前の記事に登場している地元の親友と、やはり地元にある音楽スタジオを訪れた時、少しだけ触って「叩けるもんやな」と勘違いをしたのもつかの間、すぐにその難しさに唖然として以来やっぱり触っていなかった。根性のないやつだと自分でも思う。

 

 DTMを覚える前は、ぼくは全部の楽器を演奏できなければ、こういったものは出来ないのだと勝手に思い込んでいた。よくよく考えると全くそんなことはない。もしそうであればDTM人口は今よりずっと少ないものになるだろう。マルチプレイヤーでなくても曲が作れるから、DTMは良いのである。

 

 ただ、ちゃんと作曲を行うに従って、楽器を演奏できる人はそれだけでかなりの強みになるな、と思ったのもまた事実だった。きちんとアレンジが決められると、やっぱり聴いている分にも気持ちがいい。気持ち良さを求めて音楽をやっているわけではないけれど、聴きやすいのは強みである。それに、何と言っても楽器が複数演奏できると、それだけでアイディアの引き出しが本当に増える。

 

 時間ができたら、ちゃんと楽器を練習してみたいと思う。まずはドラムからかな。

電子音楽

 あまりこの手のジャンルに明るい方ではない。最近になってようやく意識的に聴き始めた節がある。と言ってもいわゆるニワカリスナーの域を出ないと思われるけれど。

 

 Daft PunkThe Chemical Brothersはこの街に来てからアルバムを借りた。そしてちゃんとアルバムを借りて聴いたのが、おそらくこの2グループくらい。後者は地元にいるときから名前は知っていた。前者は単純にパンクバンドなんだと思っていたから、きちんと認識した時は驚いた。「愚かなパンク」という意味だそう。

 

 Daft Punkは「Technologic」という曲が良い。The Chemical Brothersは「GO」、「Hey Boy Hey Girl」など。その他のアーティストに関しては、パラパラと曲のみをYouTubeから引っ張ってきて聴いている。

 

 ボーカロイドなどを用いて曲を作ったり、個人で全ての工程を行っている人たちが志向する音楽にはこの電子音楽が多いように思う。ぼくは逆に電子音楽がうまく作れないし、これまでずっとバンドの作る音楽ばかりを聴いてきたので、自分が作るにもバンドサウンドが作りやすいというのがある。なので今後も作る分にはバンドサウンドが良いとは思っている。

 

 ただ、聴くことになると、基本的になんでも大丈夫なタイプなので、今後は電子音楽も積極的に聴いていきたいと思っている。前述のことを言っておきながら、もしぼくが電子音楽を作るようになったら笑っていただきたい。すでに「ちょっと面白そうではあるよな」とは思っているのだが。

 

 今日もせっせと曲を聴く。

手紙と恋

 小学校高学年の頃のこと。人並みに恋をしていたけれど、相手にどうやって思いを伝えて良いものかさっぱりわからなかった。友達の何人かに相談して、そのうちの一人から「手紙を書いて渡せばいい」なんて古き良き方法を教わって、馬鹿丁寧な手紙をしたためて相手の机に入れたことがある。その子は自分の友人何人かと発見して、顔を真っ赤にしながら読んでいたけれど、それ以上に恥ずかしかったぼくは気を紛らわせるために大笑いをしながら駆け足で廊下を駆け抜けていた。

 

 その子からは当然のように返事が返ってくることはなく、その後中学校に上がってからは学校の中で地位が全然高くなかったぼくを避けるようになった。ぼくと違って猛烈に頭が良かったから、高校は全然違うところに進学した。それ以来全く会ってない。成人式でも見かけた記憶がない。高校からは例のスクールカーストでの立ち位置が本格的に下になったから、ぼくも正直それどころではなかった。

 

 何年か前、現在もだけれどSNSが急速に普及して久しい時に、友達がそのうちの一つをやっているというので試しにぼくもやった。いろいろいじくっている時に、それらしい人を見つけた。とてもまっとうに自らの道を進んでいる、充実した人生があったので、なぜだかひどく安心した。

 

 まさかあの頃の恋心が未だに残っているなんて間違っても思わないけれど、温かい心持ちになることは、少なくとも中学校に上がってからも一方的なものだけれど、憎からず思ってはいたのだろうか。

 

 そんなことをのんびりと思い出した出張の帰り道だった。

お菓子

 先日、実家からたくさんの荷物が送られてきた。主に食品なのだけれど、その中には大量のお菓子も含まれていた。とてもありがたい。ぼくは普段お菓子をパクつくことがよくある。現在の、経済的にそんなに無理のできない状況で、たくさんのお菓子を送ってもらえるのは、自分で買いに行かなくていい分、手間もお金も節約できて嬉しい限りだ。

 

 好きなお菓子は何かと考えてみたとき、パッと浮かんだのはポテトチップスだった。メーカーにはこだわらない。強いて言えばうすしおが好きだけれど、味もあんまりこだわらない。ピザ味でものりしおでも、なんでも美味しい。そういえば、母もポテトチップスが好きな人だった。健康のことなんかを考えたりすると、化学調味料などをふんだんに盛り込んでいるであろうポテチは控えるべきなのだろうが、細かいことを気にしすぎては生きていけないと、こんなところだけ正論を持ってくる。

 

 最近はグミもよく食べる。遠出した帰りなど、ぼくはよくコンビニに寄ってコーヒーと一緒にグミを買う。グミに関してはどちらかというと思い切り甘いものよりも多少酸っぱいものの方が好みだったりする。酸っぱいものは嫌いではない。梅やレモンなども好きだし、それらを使用したお菓子も好きだ。

 

 作業の合間にお菓子を食べていると、現在の自分がとても平和な空間にいることを唐突に実感することがある。つかの間の充足を得て、また気がついたら明日の予定を思い出して少しばかりため息を吐いている。そんなときは大抵お菓子を食べ終えた後。安息を感じられるのも、お菓子のもたらす作用の一つなのだろう。

 

 間食は敵とはダイエット中によく言われるけれど、たまには三時にお菓子をつまむのもいい気分転換になる。ぼくの場合普段の三時は仕事中だし、お菓子をつまむのは「たまに」では済まないところが難点か。

 

 当分、安息に困らずに済みそうで何よりだ。