Stchang’s Diary

すとちゃんが綴る、他愛ないほのぼの日常。

演劇教師

 高校時代、演劇をやっている教師がいた。ぼくのクラスの担任だったが、かなりの変人だったし、あまりいい人ではなかった。

 

 ぼくの故郷も御多分に洩れず、それなりに有名になった出身者がいるわけだが、その中でもとりわけ有名な音楽グループ(現在も活動中です)のメンバーを教えていた、と嘯き、あまつさえ「自分が文化祭で歌う時、何かの機会でそいつらに前座で歌ってもらった」と笑いながら自慢げに話していた。

 

 こんな風に書くとどこか悪意があるようにしか見えないが、実際にぼくはこの教師から、学期初めでナーバスになっている頃にとてもひどいこと(多分、おおっぴらに書くと問題になるレベルです)を言われたりもしたので、悪意についてはことさら否定する気もない。上記の他にもこの人は、自分の劇団を立ち上げているとか、その劇団で東京公演を行ったとか、果てはその界隈の有名人との交際歴なんかを聞いてもいないのに滔々と語る人だった。しかも授業中に。

 

 そんな人だったが、学校ではかなりのやり手として通っているらしかった。教師という職種は数年ごとに異動があるそうだが、この人も例によって異動を繰り返し、各学校を渡り歩いていた。自分でも異動の先々で結果を残していると強く話していたし、ぼくのクラスでも、この人が担任になってから「勉強に目覚めた」と話す生徒が結構いたから、噂の通り仕事はできたのだろう。ただ、ここでも自分がいかにすごい仕事をしてきたか、ということを自慢げに語る人だった。

 

 さらに、文学や哲学、歴史に明るく、英語をはじめとする数カ国語が話せて、40代後半で体年齢は20代後半、職員室では女性の同僚とよく話している云々……、授業を止めて始めるのはそんな話ばかりだった。

 

 ぼくは当時、この人の授業のやり方も、生徒への接し方も気に食わなかったし、正直、ぼくにとっては頭がおかしいとしか思えない言動もいくつか見受けられたから、その人の授業が始まると本当に嫌だった。副業(本人は本業だと言い張っていたけれど、実際には副業なのだと思います)では演劇や歌などをやっているからなのか、声は非常によく通るし、東京の某有名私立大(誰でも名前を知っているようなところです)を出ていて、在学時はとても勤勉な生徒だったそう(本人談です)。

 

 確かにぼくの故郷の言葉の中に少しばかり東京弁を織り交ぜて、どこか冷たい雰囲気を醸し出しながら徹底的に理路整然と話す人ではあった。だからなのか、生徒にはある種カリスマ的な人気があったし、中にはその人が気まぐれに薦める本を、休み時間なんかに熱心に読む同級生も何人かいた。

 

 その時、友人が一人もいなくて非常にひねくれていたぼくは、心の内で「とんだプロパガンダだ」と毒づきながらも、怒るととても怖い人だったからもちろん逆らえずに、結果的に休み時間にはぼくも本を読んでいたのだけれど、緊張のあまり逆向きにしてその本を読んでいるということにすら気づかない体たらくだった。

 

 三年の時、進学の道を諦め、就職を決めていたぼくには当然のように何も協力してくれなかった。その人とぼくの間での出来事で、あんまり印象が悪くない出来事といえば、無理やりやらされた論文の練習で終始手放しに褒められていたことと、卒業時にぼくが送った言葉を、後になって自分が開設していたブログに、好意的なコメントとともに書いてくれたことくらいだと思う。

 

 ただ、その二つに関しては、なぜかぼくの中で妙に温かい思い出として残っているので、実際にその人はカリスマではあったのかもしれないし、その人自身が話す内容にも嘘はなかったのかもしれない。

 

 ぼくの就職が本決まりになった時、間接的ながら報告をした時にはきちんと祝福してくれた(やっぱりある程度の皮肉はありましたが)し、話し方はともかく、その人が話していた映画や本には、卒業後に読んだり見たりして、とても面白いと思ったものもたくさんあった。おそらくぼくが、その時から今に至るまで創作活動をしているなんてことは、今でも想像すらしていないんじゃないだろうか。まして、今ぼくは音楽を作っています、なんて絶対信じてくれない気がする。

 

 何かの折にふと思い出して、「そういえば変な人だったよなぁ」と思うくらいにはぼくの中で印象に残っている人だった。今日、久々に思い出したからこうして「Stchangs' Diary」に綴ってみた。

 

「演劇教師」、今も元気だろうか。